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福岡地方裁判所 平成9年(行ウ)2号 判決 1999年12月22日

原告

甲野太郎(仮名)

右訴訟代理人弁護士

山下昇

用澤義則

被告

地方公務員災害補償基金福岡県支部長 麻生渡

右訴訟代理人弁護士

貫博喜

市丸信敏

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第三 当裁判所の判断

一  公務上の災害の判断基準

地方公務員災害補償法に基づき公務上の災害であると認定されるのは、公務上負傷し、又は疾病にかかった場合等であるところ(同法二六条、二八条本文、二八条の二第一項等)、被災公務員の疾病等が公務上の災害といえるためには、公務と当該疾病等との間に条件関係があることを前提としつつ、右疾病等が当該公務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したと認められる関係、すなわち根当因果関係が存在することを要すると解される。

ところで、本件疾病のような脳心疾患については、もともと被災公務員に基礎疾患として存在し、それが加齢や日常生活等といった複数の原因によって発症に至るのがほとんどであり、公務のみが直接の原因となって脳心疾患が発症することはまれであることに鑑みると、被災公務員の従事する公務と脳心疾患の発症との間に相当因果関係の存在を認めるためには、当該公務が加齢その他の疾病発症原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要というべきである。

そして、本件において、原告は、本件火災時の焼燬材による顔面の打撲に基づく鼻腔からの出血等の異常な出来事又は日常業務に比して過重な公務が原因で本件疾病が発症したと主張しているが、行政実務の認定基準〔証拠略〕をも斟酌すると、右のような負傷又は公務が脳血管疾患である本件疾病発症の相対的に有力な原因であるというためには、脳血管疾患が自然的経過の域を超えて形成増悪したこと、すなわち、公務に関連する強度の精神的、身体的負荷を起こす可能性のある突発的又は予測困難な異常な出来事に遭遇し、あるいは日常の業務に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務に従事したこと、このような公務との関連によって過重な負荷を受けたことや、疾病の発症までの時間的経過が医学上又は経験則上も妥当とされることなどを総合的に勘案して認定判断するのが相当である。

以下、右の観点から本件疾病が公務上の災害であるか否かを検討することとする。

二  本件疾病の公務起因性の存否

1  原告の経歴

〔証拠略〕によれば、原告は、別紙一記載のとおりの職歴を経(なお、平成四年三月三一日退職)、本件火災当時南出張所長の地位にあったことが認められる。

2  久留米市消防署出張所の及び出張所長の職務内容等

証拠(各認定事実の後に摘示)によれば、次の事実が認められる。

(一)  久留米市消防署出張所の業務内容等

(1) 出張所の組織

久留米市消防署には久留米市消防署本署の他に四つの出張所(久留米市消防署東出張所、同南出張所、同西出張所、同善導寺出張所。以下特に区別しないときは単に「出張所」という。)があり、各出張所には、出張所長、分隊長及び隊員等が置かれ、その配置人員は別紙二の表1記載のとおりである。

(〔証拠略〕)

(2) 出張所の業務内容

ア 防火対象物の査察、指導取締りに関すること

イ 水火災その他の災害の警戒、防除に関すること

ウ 消防水利の調査に関すること

エ 消防自動車及び機械器具の運用保管に関すること

オ 救急業務に関すること

カ 訓練及び演習の実施に関すること

キ 庁舎物品の保管、取扱いに関すること

(〔証拠略〕)

(3) 非番日の時間外勤務

ア 火災時の出動については、サイレンの吹鳴及び無線の指令により火災を覚知したときに出動する(ただし、出動するか否かについては任意とされる。)。

イ その他時間外勤務については、別途時間外命令により勤務する。

(〔証拠略〕)

(4) 火災出動計画

平成二年五月当時の各出張所の火災出動計画は、別紙二の表2記載のとおりである。

(〔証拠略〕)

(5) 火災出動及び救急出動の実績

昭和六三年から平成二年までの各出張所の火災出動及び救急出動の実績は、それぞれ別紙二の表3及び4記載のとおりである。

(〔証拠略〕)

(二)  出張所長の職務内容等

(1) 出張所長の担当業務

ア 火災、救急、救助その他の消防業務

イ 出張所で行う業務の管理監督

ウ 部下職員の指導育成

エ 出張所の庁舎の保守管理

オ 本署等他の署所への応援勤務(当該署所で右アないしエの業務に従事)

(〔証拠略〕)

(2) 出張所長の勤務形態

出張所長を含めた出張所の署員の勤務形態は、四週間を一サイクルとして、うち勤務を要しない六日間を除いた二二日間を、当番勤務(当日の午前八時三〇分から翌日の午前八時三〇分まで)と、勤務あけの非番勤務(翌日午前八時三〇分から翌々日の午前八時三〇分まで)とを繰り返す交替制となっていた。

右当番勤務における勤務時間及び休憩時間の割り振りは、原則として別紙三記載のとおりであるが、出張所長の午後八時から翌午前七時までの勤務形態はこの取扱いと異なり、午後一〇時から翌午前五時までの深夜時間帯(以下この時間帯を「深夜時間帯」という。)に所内巡視監督業務を一回程度行えば足り、特に火災出動等の緊急出動がなければ、午後八時から翌午前七時までの時間帯を休息、休憩に充てることができ、右所内巡視監督業務の終了後に仮眠を取ることも可能であった。

(〔証拠略〕)

3  原告の勤務状況

(一)  〔証拠略〕によれば、本件疾病の発症前四週間(平成二年四月九日から五月七日まで)における原告の勤務状況は別紙四記載のとおりであること、その他に、原告が、各当番勤務日の深夜時間帯において、各一回程度の所内巡視監督業務を行ったことが認められる。

(二)  また、〔証拠略〕によれば、右のうち本件疾病の発症前一週間(平成二年四月三〇日から同年五月七日まで)における原告の従事した公務の子細は、次のとおりである。

(1) 平成二年四月三〇日

当日は、午前八時三〇分までその前日(同月二九日)からの当番勤務が継続していたところ、原告は、その深夜時間帯に所内巡視監督業務を行ったほか、南出張所に対し国分町から聖マリア病院までの救急出動の要請がされたことにより、同出張所所属の職員らが出動した同月三〇日午前〇時四三分ころから午前一時二二分ころまでの時間帯に同出張所内において待機し、執務状況把握後の午前二時五五分ころ仮眠し、午前五時ころ起床し、体力訓練や点検等を行った後、午前一〇時ころ帰宅した。

(2) 同年五月一日及び二日

原告は、年次有給休暇を取ったが、自宅において、体力訓練のほか、水防訓練(同月一〇日と一一日に実施予定)の講習資料作成や各種書類の整理等も行った。

(3) 同月三日

原告は、当日の当番勤務として、久留米市消防署本署の中隊長及び小隊長の勤務を要しない日の割り振りにより、同本署で午前八時三〇分より勤務に就き、各種事務処理や訓練等を行った。

原告は、その深夜時間帯に所内巡視監督業務を行ったほか、久留米市消防署本署に対し津福本町から聖マリア病院までの救急出動の要請がされたことにより、同署所属の職員らが出動した午後一一時二八分ころから五六分ころまでの時間帯に、同署内において待機し、執務状況把握後の翌午前二時五六分ころ仮眠した。

(4) 同月四日

当日は、午前八時三〇分まで前日(同月三日)の久留米市消防署本署の当番勤務が継続しており、同月四日午前四時三五分ころ起床し体力訓練や点検等を行った後、午前一〇時三〇分ころ帰宅した。

(5) 同月五日

当日は、午前八時三〇分より当番勤務であり、原告は、各種事務処理や訓練等を行った。

原告は、その深夜時間帯に所内巡視監督業務を行ったほか、南出張所に対し野中町から聖マリア病院までの救急出動の要請がされたことにより、同出張所所属の職員らが出動した午後一〇時三〇分ころから五四分ころまでの時間帯に同出張所内において待機したりし、翌六日午前二時五一分ころ仮眠した。

(6) 同月六日

当日は、午前八時三〇分までその前日(同月五日)の当番勤務が継続しており、原告は、仮眠中に南出張所に対し上津町から聖マリア病院までの救急出動の要請がされたことにより、同出張所所属の職員らが出動した同月六日午前三時四〇分ころから午前四時一五分までの時間帯に、同出張所内において待機した。当番勤務終了後、水利調査のため、午前九時から一時間の時間外勤務に就き、午前一〇時〇五分ころ帰宅した。

(7) 同月七日

当日は、午前八時三〇分より当番勤務であり、同時刻までは非番勤務であったが、原告は、午前三時二二分ころ本件火災発生の情報を得て自宅から当該火災現場に赴き、午前四時一〇分ころまで火災防御活動に従事した(なお、右火災発生状況、原告の火災防御活動の子細については、後記4で判断する。)。

原告は、火災防御活動を行った後、南出張所にいったん立ち寄り、午前五時五〇分ころ帰宅し、当日の当番勤務に備えて入浴、朝食等を済ませた。そして、午前七時三〇分ころ出勤し、午前八時三〇分から当番勤務に就き、午前中に各種の事務処理を行い、昼食休憩後午後一二時三〇分から会議に参加し、午後一時から前記水防訓練の講習資料作成の作業をし、午後四時三〇分ころには体力訓練を行ったりした。

その後、原告は、食堂兼待機室において夕食を摂食中、午後五時三〇分ころ、突然めまいがして気分不良となり、本件疾病を発症した。そして、午後六時ころ救急車で山下脳神経外科医院に搬送され、「脳循環障害(脳梗塞)」の病名で入院となった。

4  本件火災防御活動と公務起因性の有無

(一)  原告は、従事した本件火災防御活動によって、極めて熱暑な環境におかれ、また、右活動中に焼燬材が顔面に当たり鼻腔から出血した旨主張する。

(二)  そこで、まず、本件火災において原告が熱暑な環境におかれたかの点について検討するに、〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、非番で休んでいた平成二年五月七日午前三時二二分ころ、自宅において本件火災発生の情報を無線で覚知し、作業着の上に雨合羽を着用し、ヘルメットをかぶって約八キロメートル離れた火災現場に自家用車を運転して赴き、主に南出張所分隊の指揮命令を内容とする火災防御活動を行った。南出張所からは、当番勤務の消防士長高田活年を隊長として第一分隊五名が出動した。

(2) 本件火災は、同日午前三時一八分ころ、久留米市消防署西出張所の管轄区域内にある久留米市荒木町所在の副島産業株式会社第一工場(鉄骨スレート葺二階建、総面積一八四五平方メートル)から出火し、午前三時二二分ころ一一九番通報により覚知され、同工場内の事務所及び休憩室を約一四〇平方メートル焼損して(なお、他の外周部はほとんど原形が残存)、午前三時五三分ころ鎮火された。この火災において被災者の救出活動は特に問題とならなかった。右火災の出火原因は、同工場内の電気溶解炉の火の粉がゴミ屑に着火したことによるものであった。本件火災時の気象状況は、晴天で無風であった。

(3) 右火災に出動した人員は、久留米市消防署本署、同消防署西出張所及び南出張所関係の消防吏員四五名、消防団員一〇五名であり、鎮火後の残火処理には、同署西出張所所属の職員五名が従事し、南出張所所属の当番勤務職員は、鎮火後使用機材等を点検した上、午前四時二二分ころには帰所して、午前五時ころまで所内で次の出動に備えてホース設備の積み替え作業等を行った。原告を含む非番者は、午前四時一〇分ころには勤務を解かれた。

右事実によると、本件火災の焼失面積は、副島産業株式会社第一工場の総面積の一割にも満たず、鎮火までに要した時間も、火災発生後三五分と比較的短かったこと、本件火災の消火活動に出動した人員も火災の規模、程度に比較して少なくなく、被災者の救出活動も行われた形跡がないこと、本件火災当時の原告の地位職歴及び本件火災時には非番で出勤していることなどに照らすと、本件火災防御活動によって、原告が熱暑な環境におかれ若しくはその他過重な精神的、身体的負担を受ける状況にあったとは認め難いというべきである。

なお、右と反対趣旨の〔証拠略〕をもっては、右判断を左右することができない。

(三)  次に、原告が落下した焼燬材で顔面に打撲を受け鼻腔から出血したかの点について検討する。

(1) 原告本人の供述中には、原告が本件火災防御活動をしていた際、直径五ないし一〇センチメートル、長さ一、二メートルの焼燬材が落下し、その顔面に当たり鼻腔から出血したこと、これにより頬が腫れたり、青あざができた旨の部分があり、これを裏付ける趣旨の〔証拠略〕がある。

(2) しかし、証人山下良禧(以下「山下」という。)は、医師として、本件疾病の発症後、救急車で病院に搬送された原告の診察に当たったが、一般に脳梗塞に罹患した患者に外傷が認められるときには、右外傷をカルテ等に記録する取扱いをしていたところ、原告に関するカルテ及びこれに基づいて作成した「主治医所見」(〔証拠略〕)等中に、原告に外傷があった事実を窺わせる旨の記録をしていないことから、右診察当時、原告の顔面に一見して分かるような外傷はなかったものと思う旨証言する。のみならず、〔証拠略〕によれば、原告は、本件疾病の治療のために平成二年五月七日から同年七月一七日まで及び同年九月三日から同年一〇月二一日までの合計四か月くらいの期間入院しているところ、右入院期間において、原告若しくは原告の妻である山﨑早苗のいずれも担当医の山下らに対し、顔面に打撲を受けた旨の申告を行っていない事実が認められる。それに、原告は、右打撲の点について本件処分の過程で触れておらず、審査請求の段階に至って初めて主張しているのである(〔証拠略〕)。

なお、医師三橋榮作成の診断書(〔証拠略〕)中には、原告が衂血症のため、平成七年二月四日から同月二三日までの期間入院治療を受けた際、原告に鼻中隔穿孔が認められたが、これは、平成二年五月七日に起こった原告の顔面の打撲及び鼻腔からの大量出血によるもので、衂血症の原因となった可能性が強いと思考される旨の記載があるが、右診断書は、本件疾病の発症から四年以上経って原告が罹患した衂血症に関するものであって、その記載内容からみても、原告の供述以外の客観的な資料によって、平成二年五月七日に打撲、出血があったとしたものとは考え難い。

(3) 以上のような諸事情に照らすと、前掲の各証拠は、これを裏付ける客観的証拠もなく、にわかに採用することができず、他に、原告が本件疾病の発症当日の本件火災防御活動の際に顔面に打撲を受け、鼻腔から出血したとの事実を証するに足りる確たる証拠もない。

(4) したがって、本件疾病の発症当日に原告が従事した火災防御活動によって本件疾病が発症したとは認め難いというべきである。

5  原告の従事した本疾病前の公務と公務起因性の有無

原告が平成二年四月三〇日から本件疾病が発症した同年五月七日までに従事した具体的な公務の内容は、前記3(一)、(二)で認定したとおりであるが、勤務時間が所定の勤務時間を若干超過するものの、通常の所定の範囲内の公務であり、特に過重負荷の状況にあったとは身受けられない。また、本件疾病の発症前四週間まで遡ってみても、原告の勤務時間、火災及び救急出動の内容は前記3(一)で認定したとおりであり、右期間においても、通常の所定の公務の範囲内にあり、特に過重負荷の状況にあったとは窺うことができない。

したがって、本件火災時における原告の火災防御活動を考慮しても、原告が従事した公務が過重負荷にあったとは認め難いから、右公務が本件疾病発症の有力な原因ということはできない。

6  原告の基礎疾患と本件疾病との関係

(一)  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告の久留米市消防署消防署員健康診断における検査結果は、別紙五記載のおとりであるところ、右結果によると、血圧は、昭和六二年一〇月ころから本件疾病発症前まで上が一五〇前後から一六〇台、下が九〇前後から一〇〇台であり、血圧判定及び総合判定とも要観察、要指導若しくは要医療とされている(なお、本件疾病発症当時の血圧は、上が一九〇、下が一一〇であった。)。また、昭和六三年及び平成元年の各四月に行われた健康診断においては、心電図上、左室肥大若しくはその疑いがあるとされており、心血管合併症の存在も示唆される。なお、原告は、右高血圧について健康保持に心掛けていたものの、特に治療は受けていなかった。

(〔証拠略〕)

(2) 脳の壊死は、脳梗塞発生直後すぐには現われず、数日経って徐々に発生するところ、本件疾病発症直後の原告の脳には、CTスキャンによる検査上低吸収域がみられ、以前より発症していた無症候性の脳梗塞の所見が窺われた。

(〔証拠略〕)

(3) 原告は、昭和六年五月二〇日に出生し、本件疾病発症当時満五八歳であった。また、原告は、本件疾病の発症前、アルコールを嗜好し、当番勤務以外の日に日本酒を一、二合程度よく飲酒していた。

(〔証拠略〕)

(二)  右事実によると、原告は従前より血圧値が高く高血圧であった上、本件疾病の発症当時既に無症候性の脳梗塞が発生していたことが窺われ、これらに照らすと、原告には脳循環障害(脳梗塞)の基礎疾患があったということができる。そして、これが原告の年齢や生活習慣等と相俟って血管病変等を伴う本件疾病の発症に至った可能性が高いというべきである。

7  以上のとおりであり、原告が本件火災防御活動中に熱暑な環境におかれた事実、その際焼燬材で顔面に打撲を受け出血した事実及び原告が本件疾病前に従事した公務が過重であった事実のいずれも認め難い一方で、原告の基礎疾患が本件疾病の発症の原因となった可能性が高いことに鑑みると、原告の従事した公務が本件疾病の発生の誘因となったことは否定し難いとしても、本件疾病の発症との間に相当因果関係を肯定することは困難である。したがって、本件疾病を公務上の災害ということはできない。

三  結論

よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小山邦和 裁判官 岡田健 蛯名日奈子)

別紙〔略〕

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